PROJECT

2023.01.05

企業文化3.0 〜内なる自由という強さを活かす

なぜメディアを作るのか

「メディアとは人間の拡張だ」と語ったのは社会学者のマクルーハン。これは大前提として、彼が「メディアはメッセージだ」という有名な言葉を語ったことを抜きにしては成り立たない。

“人間の拡張”を機能面で捉えたのが、機械技術や眼鏡や入れ歯、そしてAI。どんどん人間の機能は、人間が作り出す道具によって拡張され続けている。人間に変わって機械やAIが動いてくれるなら、人間は何をすればいいのだろうか。何のために生きるのか、幸福とは何か、そういうことがここ数年で目に見えるように身近な話題になってきたのが感じられてならない。

私たちの会社では、眼鏡や機械は作れない。そのかわりに、メディアを作っている。企業や自治体、いろいろな団体が発信・発行・配信するメディアをつくる技術者だ。原稿を書く技術、取材をする技術、デザインをする技術、それらを企画し、オーガナイズする技術を経験と訓練で身につけている。けれど「なぜそれを発行するのか」という大義名分を、私たち自身が持っているわけではない。だから、「こういうものを発信したい」と言われたら、「なぜ」を問うところから始まる。大義名分の共有、つまり、志を共有したいのだ。

「なぜ」の応答はスムーズではない。「こういうものをみんな発行しているから」と言われても、それは答えになっていないと私たちは考える。だって志が知りたいのだから。まあ、このあたりをいろいろ深掘りするのはまたにして、いずれにせよ、目の前の人が「やりたい!」とワクワクしている状態にしたいなと私はまず思うのだ。「それはすごい!」「絶対やるべき!」「面白いことになる!」そんな扉を少しでもあけられれば、それはメディアになると思っている。つまりメディアは「人間の意志の拡張」であり、メディアを作ると言うことは、発信者の「意志」を顕在化させるということなのだと思う。だからマクルーハンは、メッセージだと言ったのだろう。

若手のパワーで会社を変えたい

今回は、その「意志」を育むことを明確に含めての周年事業のご依頼だった。いやむしろ、メディアを「作る」のは目的ではなく、作るものは周年誌でも映像でも何でもいいので、「若手社員の成長」をお願いしたいという与件であった。社長から送られてきた熱いメッセージを見ながら、私は胸が熱くなった。会社の周年という大事な節目を若手に任せるという腹の据えよう、若手の打合せに口出ししないという決意、彼らが自由になるにはどうすればいいかを痛いほど考えておられる。その痛みは昨日今日のものではなく、ご自身に向けられた痛みでもある。責任重大だ。

我々が何に取り組むべきなのかを考えた。メディアを作るのではなく、メディアの元になる人をつくれといえばわかりやすい。ただ、人はつくるものではなくて、みつけるものだというのが私の信条だ。絶対性善説。インタビューを重視するのもそうした理由からだ。みつけられるかどうかを自分たちに課している。発明の前に発見あり。創造の前に想像ありだ。若手社員が何をしたいのか、どんな問題意識や情動を持っているのか、自分でも気づいていないそうしたことを一緒に発見して教材化し、何らかの行動をしようということになる。それはまさに、これまで当社がメディアを作る前に、一生懸命問答し、応答いただき、共有せんとしていたことであり、恐ろしくど真ん中の依頼が来たということになるのだが、自分たち自身にこれまでとは真逆の思考が必要になるとまでは、最初は気が付きもしなかった。

自覚から実践へ

インタビュー手法でのコンサルテーションに始まった頃は、自分たちの意見を言っていいのかどうかという戸惑いが感じられた。それが徐々に開かれてくると、今度は自分が帰属する組織、つまり会社への不満が立ち上がる。不満は問題意識だ。しかし、そこからなかなか広がらない。現状への課題解決が目的化していく。ここで再度自分に立ち戻り、今度は内なる自分の強さ、内なる自分が持つ自由をと思うが、なかなかそうは問屋が卸さない。現場最前線の彼らは、日々、さまざまな課題に立ち向かっている最中だ。それぞれの立場も職種も異なる。しかし、プロジェクトには周年記念日という期限がある。悲喜交々、辛い時期もあったと思うが、半年以上を対話に費やし、小さな制作プロジェクトを段階的に挟みながら、彼らと全社員の間をつなぎ、彼らのチーム感をどうやって見守るかと試行錯誤した。私としては拙速になってしまったこともあるし、十分に深ぼれなかったところもある。一人ひとりの強弱をリーダー役の子が背負い過ぎてはいまいかとも危惧した。しかし、プロジェクトも終盤に近づくにつれ、彼らの成長をひしひしと感じるようになっていった。問題も課題も自覚され、どうしたいかという自分への自覚もはっきりしている。変化した彼らがいた。このプロジェクトの本当の成果は、もしかしたら5年後、10年後に出るかもしれない。自覚から実践へ、のサイは投げられたと思った。そんな自分を忘れないでいてほしい。

1年以上のプロジェクトではあったけれど、最後に周年記念誌を仕上げたことで、自分たちが「つくる」ことへのプロ意識を持っていることをあらためて自覚した。このプロ意識。今回はやや邪魔になった。かっこいいものになれば誰しも嬉しいが、彼ら自身がつくった、という実感が大切だ。どこまで手を入れるか、どこまで時間を預け、どこから引き受ければ間に合うのか、まさに、頭の中を180度入れ替えるような思考が必要になった。

すべてのプロセスが成長発展の機会

原稿作りにしてもデザインにしても、時間は貴重だ。限られた時間のなかで生命をかけてギリギリまで考え、粘りたい。ただし、短時間で一定の成果を出す訓練は出来ている。目についたところについて「直したい」という気持ちが、誰かのためになるのか、本来の目的である「みんなの成長」のために必要なのかを、問うという一瞬の「間」が生まれているのを現場に感じた。クライアントの意見を聞きながら作るのではなく、導きながら作る。その結果出来上がるものは、共働の賜物になる。塩梅の難しさと思考の転換、クリエイターのエゴとクリエイターならではの利点。いろいろな「間」を覗き込み、悶々としながらも、なんだか楽しいのは、クライアントもクリエイターも「主体」であり続けることを大事にしたからかもしれない。

周年誌が完成した時、私たちは安堵し、受け取った若手社員から速攻で電話が入った。「ありがとうございます!」。電話の向こうで何度も繰り返され、普段おとなしいリーダー役の社員さんが、言葉を尽くして感動を伝えようとしてくれている。社長からも彼らの成長への実感と謝辞が寄せられた。もちろん、私たちだけのチカラではない。ただ、何かを一緒に創造しようとするのが、主体性を引き出す最大の機会になることだけは間違い無い。

「もっといろいろ考えていきたい」と言ったのは担当したアートディレクター。彼が考えていきたいのは、クリエイティブの質にとどまらず、人間の質、本質をいかに引き出すかを考えていきたいということに他ならず。まだまだやれることがあると、すでに気づいていることを示唆していると思った。